巡り合いそのあとにHOME
 高橋 滋さん 山縣 英起さん 廣瀬 喜久子さん 村上 実さん 
前田恵美さん(グランコトジ)
 この巡りあいシリーズは、私がこの仕事をはじめたルーツとなっているサークル『プチぷちNET』の発想によって生まれました。そして、感動の巡りあいを一番初めに感じさせてくれたのがここで紹介させていただく前田恵美さんです。
 彼女は、10年前には専業主婦で、数年の準備期間を経て平成10年、社長という重き業務に就任された、とっても素敵な方です。
出会いは、東京の学習院生涯学習センターとフードコーディネーター協会が主催するセミナーで、たまたま目があってご挨拶した事でお近づきになりました。
この女性は、資本金1700万円、従業員54名、役員5名の株式会社グラン.コトジというフード関連会社で、創業45年を迎える三代目社長に就任された方です。

この方が、おっしゃっていて印象深かった言葉は、仕事を始めて三年間はご自分のお子様と会社のスタッフ以外は全て捨てた時期だったということです。大切な三人のお子さんだからこそ、一番信頼を寄せるお母様にまかせ、女である事も母である事も妻である事も忘れて勉強したのだとか。いつ寝ていつ起きたのかもわからないくらいに、日々の勉強と業務に追われ、涙で枕を濡らしたこともあったとか。
泣き続ける彼女の背後から聞こえた、お母様の鳴き声まじりの一声「いくじなし」で、彼女は頑張り切れたとおっしゃっていました。ご自分が、執筆の機会に恵まれたら、絶対にこの時の思いを本にしたいと、優しい微笑を浮かべながらおっしゃっていたのを今でも鮮明に覚えています。
は、このお話を伺った時、彼女から熱い情熱を感じると同時に、自分の甘さを、恥じる思いで背筋に寒気を感じたのを記憶しています。

見た目も綺麗で若々しく、女性らしいビジネススーツを素敵に着こなしているこの社長さん。とてもユーモラスで、こんなおちゃめな事もおっしゃっていました。
『女性として生まれたからには、死ぬまでに味わい続けたいフルコースがある。まずは、結婚でしょ。次は出産よね。専業主婦も経験して幸せを実感しなきゃ。そして仕事の成功でしょう。 最後は何だと思う???やっぱり、恋よ!!女性として生まれたからには、死ぬまで恋をしていたいわよね』わたしより3歳年上の女性社長さん。こうも言っていました『自分自身を愛せない人は、他人を大切にする事なんて出来ないわよね。だって、自分を大切にできない人は、他人の悩み、苦しみに優しい言葉なんてかけてあげれるはずがないもの。』私はそんな言葉の中に、社長としての資質を感じました。
ご自分の会社には潤いがあり、この潤いが他の会社にはない差別化だと、自信を持って言い切る社長さんの会社。是非見学させていただきたいと申し出た当時、お国自慢をしながら「今度金沢にご招待するわね」って快諾して下さいました。

そして、絶対に忘れられない言葉を紹介しちゃいます。
『自分自身をレベルアップする努力が、ハイレベルな方々と巡り合うチャンスにつながるのよ』って。
すごい!すごい!こんな言葉をさらっと言い放ち、自分の人生に自信を持ち、他人に伝えられる素敵な方。とても明るく、いつも元気一杯でいたいと努力を惜しまない姿勢でいらっしゃる女性でした。これぞプラス思考の代表者と思わせる方との巡り合いに言葉では言い現せない感動を覚え、どんな形にせよ一緒に何かをしてみたい。と思ったものです。
積極的な人生の選択に素敵な人との巡り合いは、つきものなのかもしれません。
高橋 滋さん(カシータ   pagetop
9月14日午後5時に私は六本木プラースビル3Fにあるカシータというレストランに立っていました。
愛と感動のレストラン『カシ―タ』のオーナーが『Iama man』という本を出版した記念パーティーの会場でした。
6月に一度訪れた事があるだけで、今回が二度目の訪問です。
 執筆されたレストランのオーナーとは当然初対面ですし、パーティー会場を埋め尽くしているほとんどの方も、全く面識がありません。不安で胸が押しつぶされそうな時、ふう〜と聞き覚えのある声で「佐藤さん!わざわざ遠くから、ありがとうございます。」という声。『???』見慣れないけど、素敵に和服を着こなしている男性でした。と同時に「お久しぶり〜♪」今回のパーティーにお声がけ下さったMikky先生。よ〜くみると、和服の男性は、Mikky先生の会社の方でした。私はやっと、自分の居場所が出来たのです。

 そもそも、なぜ、そんな場違いな所に私がいるのでしょうか?
4月から3ヶ月に渉って学習院大学で行われたフードコーディネーター研修の2回目の講師を努められたのがMikky先生で、講義の中で紹介されたのが愛と感動のレストラン『カシ―タ』でした。説得力のある会話に引き込まれた私は絶対行きたいお店になっていて、講義の後1ヶ月経ってからお友達と三人で伺ったのでした。
 さすがに愛と感動のレストラン!!
サービスとホスピタリティーの違いを学んだばかりの私に、まざまざと真のホスピタリティーを実感させてくれたのです。
異次元の空間に身を置いた私は言葉を失い、ハードもハート(スタッフの対応)も私には未体験ゾーンの感動(決して驚きではありません)でした。おそらく、ハードは、成功例に習って仙台にもそう遠くないうちにやってくるでしょう!!
けど、あのホスピタリティーは、一流ホテルでも体験した事がありません。(私のホテルライフではあまりにもあさはかなのかな???)
 本を読んでみて納得!!
実体験を基に素晴らしいコンセプトが出来上がっていたのです。
高橋さんのご挨拶もとても素敵で、「50歳はまだまだ元気です。皆さんが私の歳になった三年後、五年後に、50歳半ばでもまだまだ元気です。とご挨拶したいものです。」とおっしゃっていました。5年後50歳に手が届きそうになる私にとって、とても勇気付けられたご挨拶でした。
愛と感動を伝えられる方は元気一杯です。この厳しい時代なのに、素敵な笑顔を向き合う人々にまるで鏡に映し出しているかのように幸せを反射している様子でした。
人の心を動かすのは人の心でしかないと言い続けていた私は、『I am a man』を読み終えた頃にはすっかり高橋 滋氏のファンの1人になっていました。

 実のところ私は、二人の子供達に本に載っている高橋さんの写真を見せながらお父さんと同じとしだよ!!素敵でしょうなんて言っていたのでした。
子供達とはしゃいでいる三人の会話に主人も仲間入りして、家族四人はしばしの間、
楽しいおしゃべりに夢中でした。
 そして私は、調理師の卵であり、来年春には社会人になる長男をカシータのキッチンに送り込む事を密かに夢見ている自分に気づいて、あきれている今日この頃なのでした。
公私混同もここまで来ると笑えちゃいますよ♪。
山縣英起さん(フードビジネス総合研究所) pagetop
なぜこんな展開に?!
出会いは、フードコーディネーターの2級試験終了日、私にたくさんの巡り合いを提供してくれた研修を企画してくださった先生が主催するお茶会の席でした。
本当は秘密にしておきたい、知る人ぞ知る私の笑い話しです。
一次試験で不合格だった私は、二次試験終了後に行われたお茶会にいるはずもないのに、すました顔でその席に座っていました。
7〜8人も集まる会だと知っていたら、私は行きませんでしたよ!!
本当に居づらかったものですから!!
山縣さんは、今でもその話しをすると、天井を見上げて大笑いしています。
いつもならポーカーフェイスで、楽しいのか、怒っているのか分からないような表情の人なのに。
出会いは単なる名刺交換会で、お互いの自己紹介に留まっただけでした。

立ち上げたばかりの、このサイト『プチNET向日葵』を気に入って、見守っていてくださったうえ、これからの展開を真剣に考えて下さいました。又、そのすぐ後に、ご自分が立ち上げた『フードビジネス総合研究所』というHPの相互リンクと原稿依頼がきました。自分の仕事に自信なんかあるはずもない私は一旦お断りしたのですが、山縣さんはうまく私の気持ちを奮い立たせて下さいました。
同じ時期、私は、経験が浅く背伸び状態で始めたフードコンサルの仕事で、壁にぶつかっていました。出口を求め、本職の山縣さんに相談を持ち込んだずうずうしさは、今考えると恥ずかしくなります。
山縣さんには、収入にもつながらないばかりか、仙台まで自費で来て下さり、私が関わる飲食店を視察してくれる程、真剣に相談にのってくれていました。
今や彼は、私にとって絶大な信頼を寄せている、ビジネス展開の相談役です。
知り合ったのが8月末なので、まだ1ヶ月半と非常に短い時間です。そのうえで、仙台と横浜という距離を感じさせない信頼関係が築けたのは、瞬時にして情報交換ができる通信事情のおかげかもしれません。けれど、それだけな訳もなく、食事情の問題意識が同じだという事と、お互いの中で、得意分野と不得意分野を補い合える持ち味を持っている事。そして何よ り食を通して人と関わることが好きという共通点がお互いを尊重し合える関係に結びつけた様に思います。

 この低迷する経済状況の中で、明るい未来を予測する人は非常に少ないと思います。
並んで、私達が考えている事が収入につながるかどうかなんてわかるはずもありません。けれど今、私はこれからがとても楽しみです。彼と仕事を共にする事でやりがいに繋がる予感だけは日増しに強まっています。
彼のサイトに『フードビジネスに悪い人はいない』というコラムがありました。
私は、まさにその代表者のような方と巡り合った気になっているのです。
廣瀬喜久子さん(日本フードコーディネーター協会副会長) パワフルな廣瀬先生 pagetop
思い起こせば廣瀬先生との出会いは、半年前の4月末。フードコーディネーター協会により開催された2回目の地方研修、札幌のセミナー会場でした。

 先生の講演は『食と健康』という、高齢者に対する福祉調理についてでした。老化の現象を科学的・論理的に捉え、とても説得力ある講義内容で、私自身確実に訪れる老年期に希望を与えてくれる明るいものでした。セミナーが終了した時には、先生が監修され、日本医療企画から出版されている『高齢者に喜ばれる楽しい食事』という調理の本を手にしていました。又、今になると赤面する思いですが、「協会が行う地方研修は、なぜ日本の両端で、札幌と福岡なのか。仙台でも研修を実施してほしい」という要望を発していたのです。この巡りあいをきっかけに5月後半に東京で開催された2003年度フードコーディネーター通常総会・研修会では仙台研修が予定されていて、そのお手伝いをさせていただく運びになりました。その後第三回目の地方研修となる仙台研修を成功させたくて何度か先生の所に足を運びましたが、そのたびに先生の魅力に触れる事となり、尊敬の念を深めていったのです。先生が執筆なさった本をくださったり、フランス研修を薦めてくださったりと先生にお近づきになるチャンスとたくさんの熱い思いを与えてくださいました。

 誠心調理師専門学校のルーツとなっている『よみがえった子供達』を拝読させていただいた時には先生の暖かい親心に頭が下がり、感動で涙が止まらなかったのを覚えています。

 私にとって、協会との関わりを深めるきっかけとなったフードコーディネーター仙台研修も、準備段階で内容を検討したかいあって、主催者側もおそらく参加者にとっても楽しく充実した内容となり閉会に終わりました。仙台駅まで先生方をお送りした際に、廣瀬先生に握手を求められた事は、私の大きな財産となっています。先生の掌から伝わってきた暖かいぬくもりをキャッチした瞬間から嬉しくて、フードの世界に志を持った証としてあの感覚が蘇ってきます。先生に勧めていただいた食環境コーディネーター協会が主催する「ポワティエの味覚週間とパリのフード最前線視察」というフランス研修。それに先立ってのフードビジネスコーディネーターの資格試験にチャレンジとハードな毎日でしたが、私自身を磨くチャンスとして頑張りきる事ができました。フランスにご一緒させていただいた一週間で、先生をわかったつもりになるのは心苦しいのですが、やはり統率力のある素晴らしい方でした。学園の理事長先生という事もあり、子供達に注ぐ愛情と責任、実行力には、はかり知れないパワーを感じました。高度経済成長の影でどこか置き去りにされてきた『心を育てる役割』をしっかりと見据え、教育の柱として実践している事が先生の自信であり、魅力となっていたのでした。

『子供は社会の宝』先生がよく口にする言葉です。その子供たちの味覚を救うため『食育』に尽力したいという熱い思いに『日本のおかあさん』を感じずにはいられません。
 私のような微力者が先生の足元にも及ばないのは充分承知しているつもりですが、同じ子を持つ母として、同じ問題意識を持つ者として『食育』に尽力する覚悟を決めているのでした。
村上 実さん(株)オータパブリケーション) 不思議な兄貴Mikky先生 pagetop
おそらく、私はこの巡り合いシリーズを始めた時に一番初めに書き下ろさなければならない位、素敵な巡り合いを運んで来てくださっている週間ホテルレストランの取締役編集長 村上実先生。
私には理解できない程に、人と人を結びつける事に尽力なさっていて、困った時の神頼みには必ず力を貸してくださる。そんな人並み外れた思いやりを感じずにはいられない方なのです。
 出会いは、半年前にさかのぼる4月24日、学習院の春講座で二回目の講義『レストランプロデュース』を経営コンサルタントの立場からレクチャー下さいました。
この日は、忘れる事のできない特別な日で、娘の17歳の誕生日を一緒に祝う事が出来ない程、忙しいスケジュールをこなさなければいけない一日でした。
レクチャー終了後も私は、名刺交換すら出来ず、先生の前に出来ていた長い行列を横目に次の予定に追われていました。

 内容は、鮮烈に覚えています。A-4一枚のレジメを基に進められましたが、説得力に満ちた、聴衆の関心を引き付ける魅力をお持ちで、内容もさる事ながら、私にとっては12名の講師の中で、一番に印象強い方だったのを記憶しています。
 運命のようなものを感じたといえば、講義の構成にマキシム・ド・パリの紹介と私が昨年まで働いていたソニーの創業者である井深大、盛田昭夫両名の事が散りばめられていたからなのか.....。
今となっては、なぜこんなにも慕っているのかわからないほど恩を感じているのです。
 振り返れば、お目にかかったのは半年のうちにたったの4回。出会いの当初は、先生の記憶の中に、私の顔なんかなかったような気がします。やりとりはほとんどが電子メールで、お電話したのすら数回だったような。いわゆる電子情報によって私が一方的に距離感を感じずにいただけなのかもしれません。しかし、やっぱり頂いた恩は恩なのです。

1. お目にかかった当初の非常に丁寧なメールの交換
(よくぞあそこまで私なんかを楽しませてお付き合いくださったことか)
2. 喫茶の店舗を計画していた頃、コンペ参加時の店舗展開図を計らって下さいました
(あの時の私は本当に困っていて、神頼みのように先生のご協力にすがってような。)
3. 六本木ヒルズ隣接の東京グランドハイアットの宿泊予約
(オープン当初、通常は予約すら取れない状況の時に宿泊のチャンスを頂きました。)
4. 目が腫れて、お岩さん状態の時に救いを求めたら横浜の眼科を紹介してくださった事
5. 研修最終日に勧めてくださった目白にあるフォーシーズンでの人間ウオッチング
(独りで物思いに耽りたかった私の状況を見事に理解して下さいました)
6. カシ―タのオーナー高橋氏の出版記念パーティーにご招待いただいた事
(プチNET向日葵で、素敵な巡り合いシリーズを連載するきっかけになりました)
7. プチNET向日葵に超大作『食育のすすめ』の寄稿。
(正直、プレッシャーにすら感じるコラムを書き下ろしてくださいました。)
 先生に頂いた素晴らしい出来事を書き綴っていたら限がないので、ラッキーセブンで留めておく事にします。
私には何故こんなに親切な方が今時の日本に存在し、私自身を応援してくださっているのか理解できないでいるのですが、きっと自らMikky先生を名乗っている事が先生ご自身の証なのだろうという事にしておこうと思います。
 先生が、私に応援してくださる事を理解出来る日が来るのかどうか。
何故なら、『では、コラムを一発!』といって書き下ろしてくださったのがあの『食育のすすめ』なのですから。
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