美味しいもの見〜つけた食育Top HOME

掲示板より
乳幼児のお遊び食べ
ハーゲンダッツパーティー 松花堂弁当の由来
毎日が楽しい思い出の積み重ねだった入院生活の中、何が一番ですか?と聞かれたら、私はなんと言ってもハーゲンダッツパーティーと答えるだろう!!
偶然にも同じ年で、意気投合して45歳コンビを結成した相方とアイスクリーム談義を始めた時は、たわいもないおしゃべりにすぎなかった。
『チェリオのチョコバナナ食べてみた?』
『二階の売店でチェック済みだけど…』
『一階の売店では売ってないのよ!!100円だけど美味しいの!!』
『アイスクリームはハーゲンダッツじゃない?!』
『ハーゲンダッツ、甘いけど上品よね〜♪』
『知ってる?クリスピーサンドは二階売店には売ってなくて一階売店にしかないの!!』
ゴールデンウィークが終わり、お見舞いラッシュが一段落した病室でのやりとりだった。
こんな何気ないおしゃべりが終盤にむかう頃、参加するでもなく笑顔で私たちを見守っていた同室のお仲間(45歳コンビにとっては大先輩)の一言!!
『ハーゲンダッツ食べるときには私にも声かけてね§^。^§』
思いがけない一言をもらい。
『あ〜ぁ!又痩せないわね(~_~;)』
と見合わせた三人の顔は、満面の笑みを浮かべていた。

盛り上がったこの計画がささやかに実施されたのは、209号室の住人一人が別の部屋に移動してハーゲンダッツトリオが取り残され、ポット一杯のコーヒーが運び込まれたお風呂上りのひと時だった。
『キャラメル味のクリスピーサンドが私のこだわりなの』という大先輩。
バニラ&アーモンドのチョコバーをチョイスした相方。
ハーゲンダッツは、クリスピーサンド!!と思いを馳せていた私は抹茶黒蜜を口にして至福のひと時を味わった。
小さな声でしゃべっているつもりでもナースステーションまで声が漏れている209号室(一番隅っこの影部屋)の3人はめずらしく無口だった。
突然の出来事
親離れ子離れの時期に

     (女子高校での講演会)












そして、10日が過ぎた頃には偶然が重なり4人部屋は、45歳トリオとなりにぎやかさを増した。
ここは病室???と思わせるようで、お見舞いにみえるお客さんも交えて冗談が飛び交い、笑いに変わる。
そこまで回復していれば当然のように退院が次々と決まっていくのである。
5月27日大安吉日に大先輩が退院を決め、その後10日間で残されたメンバー全員がめでたく後に続くのだが、お祝いに何かしたいと考えたものの単純な私たちは再びHaagenDazsパーティーくらいしか思いつかないのである。
26日15:00〜参加者5人。
なんとささやかな退院祝いだろうと思いつつもご本人はとてもうれしそうである。

ところが、人生異なもの味なもの!
緊急事態発生で26日の午前中に退院が変更になってしまった。
状況を見守る中、私はHaagenDazsパーティーをやるべきか否か迷い、ご本人を励ましたい思いで、予定を退院当日の26日リハビリ終了後(10:30頃)に変更した。
『私ね〜食べたいものは限られてるの』と相変わらずキャラメル味のクリスピーサンドにこだわる大先輩
バニラ&アーモンドのチョコバーが売店に売ってなくてキャラメル味のクリスピーサンドの相方
『美味しいアイスクリームはバニラでしょう!!』とここでもこだわりを発揮する新入りトリオ
私もバニラ&アーモンドのチョコバー食べたかったのにな〜(~_~;)と新製品の抹茶黒蜜を再びチョイス。
いましたよ!!私と同じ新し物好きの抹茶黒蜜をチョイスした仲間が…

アイスクリームが溶けて形が変わるのと同じように2回目のHaagenDazsパーティーは程なくお開きとなり、大先輩は病室を後にした。
そしてみんなが退院して口にする言葉は『楽しかったよね〜♪』であり、病室で生まれた温かい絆はそれぞれの心の中で育まれて行くことだろう!!
アイスクリームを口にするときに、微笑を浮かべながら車椅子や松葉杖を使っていたときのことを何気なく振り返る予感だけが私の心をくすぐっている。                                    2005.6.12
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突然の出来事 〜お水が美味しい感動の瞬間〜
桜もちらほら緑が入り乱れる2005.4.25
夫が運転する自動車の助手席に乗っていた私は、細い農道の交差点で左側から走ってきた乗用車と衝突事故に遭遇し一ヶ月ほどの入院生活を経験した。
事故の記憶は、衝突寸前に一枚の写真が残されているかのように一瞬の出来事だけを鮮明に記しているだけで、その他はほとんど無いに等しい。
気がついたら病院の救急外来のベットに寝かされていて何が起こったのか整理もつかないままにケガの説明を夫と一緒に受けていた。
その説明も細かい事はほとんど覚えていないし、目の前にかざされたレントゲン写真の異常も理解できなかった。
ただ、骨盤に何箇所ヒビが入っていて経過観察したのちに治療方法の検討。
とりあえず『入院』という事だけが理解できた。
事故が起きたのは、夜の7:30頃で、その後の時間経過は定かではないが、病室に一時間ごとに血圧を測りに来て様子を聞いてくれる看護士さんに、もうろうとした意識の中で寒気を訴え、湯たんぽを足元に2個入れてもらった。そしてしばらく後に非常な喉の渇きを覚えた。
『お水を飲みたいんですけど…』
私は事故の後、はっきりとした意識を取り戻して一番初めに意思表示した言葉だったように思う。
ストローと蓋付きのコップで頂いたお水を一気に飲み干し
『もう一杯いいですか?』
お水ってこんなに美味しいものだったろか。
体が悲鳴をあげ、要求していたようにも思うが、今となってはお風呂上りのビールの美味しさ以上だった気もする。
一気に飲み干したコップ一杯のお水は、45年間の人生でまさに一番美味しいと感じた。
白々と明るさを取り戻した頃ブラインドが開けられ、飛び込んできた一本の大きな桜の木は、幹に近いほどピンクの花がこんもりと群がり、枝の先には薄緑の葉っぱたちが揺れ動いていた。
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親離れ子離れの時期に 〜祝 卒業〜
2月23日(水)更なる適任者がいるとは思いながらも女子高校生を前に「食の大切さ」について卒業講演会を行った。
このような晴れの舞台に立とうとは思いもせずに、娘の卒業を前に社会に旅立つはなむけとして何かできないものかと学校の先生にご相談したところ、なかなか良いセッティングがみつからないという事で貴重な体験となった。
講演の日が近づくにつれ「ハラハラ&ドキドキ」のうえ、失敗したときの娘の憤慨した顔が目に浮かび取り返しのつかない申し出におびえながら準備を進め、当日を迎えた。                                    
その朝、娘を最寄り駅迄送り届けたときに「自己紹介でユイママって言って良い?」という私の申し出に
「いいよ!!」と笑顔で答えてくれた力強さは、二週間が過ぎた今でも昨日の事のように甦る。
指定の時間通り学校に伺い、受付の方に応接室を案内して頂いた。静まり返る部屋で、心細く原稿に目を通しながら時間が過ぎるのを待っていると、「ガンバね!!」と娘から携帯に応援メールが届いた。
その後間もなく顔見知りの先生が講演場所へと導きにみえた時、どうなることやらと腹をくくった。
校長先生からご紹介を頂き、壇上に登るのだが、ここで第一弾のドジが露出された。
数段の階段なのに緊張のあまりスリッパが脱げて後戻りする羽目となる。どこからともなく「可愛い〜♪」の声が上がり、私はこの声に勇気付けられ、少し落ちついた。壇上で話し始めながら、生徒さんたちの顔を眺めると一人又一人とわが娘のように応援し続けてきたバレーボール部のメンバーがにこやかに私の声に耳を傾けてくれている。そんな姿が目に飛び込んできた時、私はどれだけ勇気付けられたかはかり知れない。話しの途中に懐石料理を頂くときのお箸の上げ下ろしについて実習を取り入れ、日本の食事情の問題点を投げかけて結びとした。お花を頂戴した生徒さんから感想を頂いたが、とても真剣に話しを聞いてくれていたのには感動だった。










乳幼児のお遊び食べ
講演が終了して校長室にご案内頂き、ご挨拶を頂戴した事も、なかなかできない体験と改めて感激していた時に再び娘からメールが届いた。
「一緒に帰ろう!!」
このメールで生徒さんたちの、反応が悪くなかったことを感じさせてくれた。娘の帰りを待っていると帰り支度の生徒さん数人から笑顔と共に
「ユイママ良かったよ!」
「ユイママありがとうございました」
と声をかけて頂いたのには危うく涙を流しそうなほどに嬉しさがこみ上げてきた。
当日の夜、心地良い疲れを感じながら娘と2人祝杯をあげていた時に何気なくもらった言葉
「5つあった卒業講演の中でおかあさんの話しが一番面白かったと思うよ」
娘が母を気遣うほめ言葉と欲目もあったと思うが、私にとっては最高に嬉しい言葉として心に刻み込まれたのは言うまでもない。

 そして翌々日「卒業祝賀会」に役員としてお手伝いに出向いた時、また先日の卒業式当日にも生徒さんたちは優しい反応を示してくれた。
私は、二度と来ない我が子の高校卒業という節目に、誰にも味わうことのできない幸せを思いっきり満喫させて頂いたことに感謝の言葉を言い尽くせないでいる…。 
今回の講演活動が成功と言えるのならば、娘の力を借りていたのに間違いはない。
親離れの前に子離れが大きなテーマになりそうである。       2005年2月23日  










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乳幼児のお遊び食べ
  昨年9月に乳幼児の食事について掲示板に投稿があり、その後何度かメールの交換を行った後にとても嬉しい報告がありました。
乳幼児の食に、とても感心をお持ちのパパで、積極的に子育てに参加している方からの投稿でした。
今や、共働きは珍しい事ではありません。そんな時代背景の中、我子の食を真剣に考えているパパさんは、これまた素敵な存在であり、少しでも協力できるものならばという思いでご相談に応じました。
ハーゲンダッツパーティー

松花堂弁当の由来
昨年9月に1歳児用の簡単に作れる食事メニューを提案して欲しいという投稿を頂きました。
私はいくつか乳幼児の喜びそうなメニューを提案させていただく中で鮮度の良い生野菜のスティックも一緒にお勧めしました。(9〜10月の掲示板参照)
1歳児は甘い食材は自発的に口に入れますが、りんごや梨等のくだものと違って生野菜は特に好んで口にする食材ではありません。又、子供自信、自我が出始める時期なので親側もある程度の覚悟と忍耐が必要だと付け加えました。と同時にアイディアとして幾つかの提案もさせて頂きました。

@ 何でも自分でやりたがる時期なので、自分でにぎって口に入れる習慣を上手にコントロールしてあげて欲しい事。
A 新鮮で、安全な素材を選んで欲しい事。
B 生野菜を嫌がるようなら、子供が喜ぶヨーグルトベースのソースを添えて欲しい事。
C 上手に食べる事が出来たらたくさん誉めてあげて欲しい。
D 上記Cだけでなく、子供のいる前でその事を親が自慢して他の人にもたくさん誉めてもらって欲しい事
投稿していただいたパパは、子供の自我や口に運ぶ味について実感していたご様子でしたが、私のアイディアを快く受け入れてくださいました。
つい先日、『家の子がきゅうりや人参の生野菜スティックを上手に食べてますよ〜♪』というメールをいただきました。
嬉しかったですね〜♪ 何とも言えない喜びでした。
今回のスティック野菜の事も子育てパパの努力からでしたが、いくつかの壁を乗り越えて実践できた訳です。当然、お子さんに受け入れられるまでは、子育てパパは我慢強く粘ったでしょしね。子供を育てる事に終わりがある訳ではありませんが、きっと、そのお子さんとパパの間で、何か素敵な空間が生まれたように思います。
大切な事を見極められ、楽な方に流されない事実が存在したはずです。そこにほんの僅かですが私の知恵が役に立ち、その報告を頂いた事で、このサイトを立ち上げた意味を実感しました。もちろん親側も子供の存在によって成長している訳ですが、子供の成長に真剣に目を配っている様子が伺えました。

幸せ家族のおすそ分けとでも言うのでしょうね〜♪

そして3ヵ月後…  
     ご夫妻のお友達とバーベキューを楽しんでいた最中にハプニング!!
     準備している最中に、2才5ヶ月になるお子ちゃまは人参&かぼちゃを生でパクパク
     周りにいる大人達は『あ〜らら〜』
     『筈かしかったっちゃね〜♪』と報告して下さった子育てパパの言葉の向こうに私は
     満面の笑みを見た気がしました。  〜2004.05.11追記〜
突然の出来事
松花堂弁当の由来
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お知り合いの方と打ち合わせを兼ねてランチの場所を探していた時の事である。
街のあちこちで、『松花堂弁当○○○円』という張り紙が目についた。そこで、彼女の一言『松花堂弁当ってどこからネーミングしてるんだろうね???』
即答できない自分がとても恥ずかしかった。

調べたら松花堂縁高という茶の湯で用いる点心用の器に盛り付けたお弁当の事であった。
江戸時代初期の書家、画家だった松花堂昭乗という僧侶が考案し、愛用した事からこの名がある。
その特徴は、十文字の仕切りにあり、料理の味や香りを他に移さず、小皿を組み込む等して見た目も美しく盛り付ける事ができる。
と物の本には書いてあった。
乳幼児のお遊び食べ



そういえば駅で売っている松花堂弁当は、決して安い値段ではなく、おかずの品数も豊富である。
見慣れたおかずではあるが、きれいに盛り付けられてもいる。
又、和食やさんのランチメニューには決まってこの松花堂弁当があり、料理人のこだわりをバランス良く表現しているお料理である。
最近、この松花堂弁当のみランチメニューにしている私の好きなお料理やさんもいる。




花びら舞い散る季節の真っ只中で、宴の席を楽しむ声があちこちで聞こえている。行楽シーズンがすでに始まり、お弁当を持ってアウトドアを楽しむ季節になった。
この時期に、松花堂風にアレンジしたお弁当を頑張って手作りしみて、松花堂昭乗ゆかりの日本文化を話題にしてみたら、いままでにない日本情緒を楽しむ事もできる気がする。もしかしたら、うちの親って、何でも知ってるんだなーなんて我子にちょっと尊敬される場面も期待できはしないだろうか…
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