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佐藤家の食卓   具沢山の味噌汁
食卓に上る味付けにこだわったら
我が家の台所から化学調味料が消えたのは平成11年9月の調理師専門学校の卒業式を迎えた翌日からでした。調理師専門学校に通っていた18ヶ月は、私達家族の生活を大きく変え、食を真剣に考えるきっかけを作ってくれました。その学校を卒業する時、まず自分達家族の食生活を健全にしなければ食のプロを目指す資格が無いと考え、こだわりました。化学調味料は、人の舌を麻痺させるもので、発ガンの危険性をひそむ食品だから食卓にのぼらせてはいけないと学校生活で学びました。
家族の健康を守るべき母親は当然、注意すべき事ですが、知っていても、お手軽料理が一切出来ない事になる為全廃は考えただけでも足がすくみます。従って実行するのは一大決心でした。

カップ麺は食べられません。
当然、カップスープ等のインスタント食品も食べられないし、複合調味料(市販の浅漬けの素や麺汁)も使えない事になります。味噌汁や煮物の仕上げに手軽に使っていた『市販の出汁』だって使えません。出し入り味噌も出汁醤油もです。
当然、出来上がったお料理は、味もそっけもなく、家族全員からブーイングです。
化学調味料に汚染(慣れ)されていた家族の味覚は完全に障害をきたしていたのです。
それでも、料理は家族に対する愛情表現だからと、私は必死でした。
味噌汁の出汁は、にぼしと根昆布を一晩浸して煮出した出し汁を使い、煮物は、しっかりと基本を守った出し汁で下ゆでして使い、材料は湯通しして雑味を取り、油揚げや油芙を使って本来のうま味を出した料理を意地になって作り続けました。

3ヶ月もたった頃でしたでしょうか。どうしてもカップ麺が食べたかった娘は、私の目を盗んでお小遣いでカップ麺を買ってきて食べたようです。『食べている時は美味しかったのに、食べ終わったら気持ち悪い。変な甘さが口の中に残っていて、
舌が痺れているし、美味しくない。』私の言いつけを破り、ばつが悪かった事でしょう。それでも思うままにきちんと、自分の思いを言葉にして伝えて来ました。
化学調味料に汚染されて日が浅い当時10歳の娘が一番初めに舌が正常に戻ったのです。
この日以来、私の作る料理に家族は誰一人文句を言わず、かえって、手間隙かかる料理に感謝して食事するようになってきました。
こうして始めた化学調味料全廃というこだわりが、家族みんなに、美味しい食事を美味しく感じる幸せを見つめなおさせてくれたのです。
家事労働の時間短縮は、社会進出を目指す女性の大きなテーマです。
そんな中で、私は時代に逆行したのかもしれませんが、家族の正常な味覚を取り戻した事に大きな満足を得たのでした。
  
具沢山の味噌汁
 実は私って、食事の時に味噌汁がなくても平気な人なのです。一方我が家の夫は、味噌汁さえあればおかずが無くても平気なくらい味噌汁が大好き!!
そして子供達は.....。
長男が無くても良く、気に入った味噌汁しか食べないのに対し、娘はあった方が良い派と二分化しています。
なぜ、私は味噌汁を食べなくなったのか。
東北人の塩分摂取量の多さを指摘されるようになってしばらくたちますが、20年近く前の頃、塩分控えめの主旨から、味噌汁は一日一回で良いという情報を耳にしました。私は食に対する正確な情報を持たない当時、手間ひまかけて体に良くない食事を作りたくなかったのです。
 ところが、子供を育てるようになってから、特に離乳食を作る頃から、たっぷり野菜を食べさせたくて具沢山の薄味味噌汁をつくるようになりました。
思い出しましたが、10年近く前の頃でしょうか。子育て真っ最中に、職場のおかあさん仲間と味噌汁談義をしたところ、彼女も同じ意見でした。やっぱり塩分は気になるものの味噌汁は野菜がたくさん食べさせられるというのです。
味噌汁を食べない私の鏡が、長男の姿なのでしょう。そして、お父さん子の娘は夫が鏡なのかもしれません。
たった4人の家族なのに、味噌汁をめぐって派閥が出来ているのですが、豚汁、あら汁の時には家族4人の笑顔がそろうのです。

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食育家族 子育てから
食育を考える先に
素晴らしい食環境で育ったと思わせる女性に巡り合い、私は食育の世界に魅力を見出しました。
フードコーディネーターの研修会に参加した時の事です。
 まだ、歴史の浅いフードコーディネーターの世界で、すでに活躍している方々のパネルディスカッションの場に1人のパネラーとして参加していた20代半ばの可愛らしい女性です。
 薬剤師のお母様に誇りと尊敬の気持ちを持って成長され、堂々とその事を公言している彼女をみて娘を育てている母親名利を感じずにはいられませんでした。

 管理栄養士の資格を持ち、病院勤務を4年間勤めた後、東京の中心街で良く見かける『Dear・soup』というスープバーでメニュー開発を手がけている他『わとキッチン』というケータリングも行っているという女性です。
好きな事を仕事に選び、才能を認められ、思いっきり仕事を楽しんでいる様子でした。
 彼女の個性豊かな表現や仕事振りに感動を覚えたのは私だけではなく、おそらく会場にいた全ての人が目を見張ったのを感じました。
彼女の性格の良さは、体に良くて美味しいお料理により育まれたものだと直感し、懇親会の場で質問させていただきましたが、まさにその事を肯定してくださいました。

 又、少し後にその会場にいた方々とお話しした際には、誰もが私と同じ思いであった事を確認できました。
犯罪の低年齢化は、その原因が食環境の悪さにもあるという分析結果が公表されるようになって、食環境の整備が話題にのぼってきています。そんな時代背景で、素晴らしい食環境の代表者のように思えました。我が家の子供達もあんな風に成長して欲しいし、今後の日本を背負う子供達が彼女のように成長していく環境を整えなければいけないと決心させてくれるめぐり合いでした。
 私達世代が今後の社会環境をきちんと見据え、食事情を改革していかなければならないのではないかと思わずにはいられない出会いだったのです。
 味覚は育てるものです。これから味覚が育つ乳幼児はもちろんの事、体に良い食事(味)を美味しく感じる環境をトレンドにしていく工夫を凝らし、味覚障害症候群となっている人たちの修正をてがけるべく決意を新たにしているのです。
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子育てから
釣った魚を調理する長男の姿
我が家の長男は、いつ頃から釣りに興味を示したの だろうか?本人に聞いても定かではなく、なんとなくたどり着いた記憶は10年程前にさかのぼり、小学校の3〜4年生の頃だったような気がする。小さな自転車にまたがり、釣りざおを手に、近くの釣り場(仙台新港)から幾度となく帰って来る姿 時には父の車に乗せられて、又あるときにはお友達のお父さんに連れられて。
さな息子が釣り上げてくる魚は、当然はぜの赤ちゃんやあいなめのあかちゃんで、料理するのも大変だった記憶だけは残っている。
 子供にとっては、吊り上げる面白さの追求で、いわゆる『お遊び』だったのは言うまでも無く、私はこのお遊びに危機感を覚えていた。
始めのうちは喜んでいた食卓に上る小魚達のから揚げを、「骨が硬い」の「小さい」のと文句を言うようになってきた。
 ある時、私は長男に言って聞かせた。「あなたにとって、釣りは単なる遊びかもしれない。けど、釣られた魚は赤ちゃんの時に生命を絶たれることになるの。」「食べれない大きさだと思ったら、その場で海に帰してやろうとは思わないの?」息子から返ってきた言葉は「何匹釣れたかお父さんとお母さんに見せたいんだもの」「そしてね、一緒に釣りをしているおじさんたちも小さい魚は食べないみたいだよ」子供心に状況をリサーチしていたようである。私はショックだったが、息子と約束を交わした。『何匹つれたかお母さんに教えてね。そして、持って帰って来るのは自分が食べてもいいなと思う大きさの魚が釣れたらね。』

 二十歳になった長男は、今でも釣りが大好きな調理師の卵で、学校の友達何人かで釣り場の範囲を広げているらしい。帰って来ると釣った魚をさばいては、料理して友達と一緒に新鮮な魚の味を楽しんでいが、小さなあなごをさばいている後ろ姿をみていると逞しささえ感じる。包丁を研ぐのもさばくのも、すでに私を超えていて、調理技術を教える事はもうなさそうである。先日、体調を壊して休んでいた時には、目をさましたら鯖の味噌煮が出来上がっていた。そして、添えられた言葉は、「おかあさん毎日忙しいだろうから、冷蔵庫にあった鯖を、腐る前に味噌煮しておいたからね。」料理の愛情スパイスもボキャブラリーも使い方を間違えていないようである。社会に巣立つ準備が整い始め、希望に満ちた社会人になる日もそう遠くない将来のようである。
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鶏から談義
思い出させてくれたこだわり

 

   

鶏から談義
 子供の運動会での出来事です。
中学校の運動会ともなると、親の観戦は、小学校の時と比べて歴然と少なくなります。私もサラリーマンでしたので、無理して行こうとは思わなかったのですが、役員を引き受けた時にはそうもいかず、子供の応援というよりは義務感から参加しました。
リーダーをやっていた事もあり、貴重な時間を裂いて役員の仕事をしてくれている方々に何かしたい。という思いも手伝ってほんの気持ちばかりでしたが鶏のから揚げを作って持っていきました。その時の会話をご紹介します。
私:一段落したら、から揚げ作ってきたから食べてね〜
皆さん:いただきま〜す。
役員1:もう一個いい?
役員2:何か特別な作り方してる?
役員3:私こんな美味しいから揚げ食べた事無いよ。

私:???(なんで?)
役員2:このから揚げジューシーで肉汁が口の中で広がるよ。
役員3:普通、から揚げってもっとお肉かたいよね。
私:特別な作り方してないよ。みんなどうやって作ってる?
<A name="yakuin1">役員1</A>:しょうがとかにんにくをすりおろし、醤油とミリンに一晩つけこんでから衣つけて揚げるでしょう!
役員3:そう!そう!その他には、市販のから揚げ粉を使うか、お惣菜買ってくるかかな。
役員2:どこのファーストフードのお店でもこんなにお肉が軟らかくないよ。
私:みんな、から揚げにちゃんと手間ひまかけてるし、お金もかけてるんだね〜。
役員4:うちの娘ね、お弁当のから揚げもらって食べたんだって。おあさん、ちゃんと作り方聞いててね。って言われちゃったよ。

 さて、秘密は....。
私のから揚げは、衣を付ける直前に、塩と粗引き胡椒を振りかけて、たっぷりめのお酒でお肉をもみ込んだら、香り付けに醤油をちょっとだけたらして片栗粉をまぶして揚げるだけ。簡単でしょう?!
この時皆さんは「え〜!!それだけ〜???」声をそろえて言っていました。
その後に中学校の調理実習室を借りて料理講習会をやった時にわかった事ですが、揚げ過ぎの多い事。お酒をもみこむのもお肉をジューシーにするこつですが、お肉の半生状態が怖いので、火を通しすぎてお肉を硬くしてしまっているようでした
面倒だと思っていた運動会のお手伝いに、から揚げが運んだ楽しい会話でした
話しって聞いてみるもんですよね。
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思い出させてくれたこだわり
思い出させてくれたこだわり
思い出させてくれたこだわり最近の17歳の娘と交わした会話です。
水族館の魚が映し出されたテレビ画面を見ながらぽつり。
水族館の魚を見ながらあのお魚を食べちゃうのは可愛そうよね。って普通のお母さんは言うのよね。
でも、私はお母さんに、あの魚達は食べられる運命で生まれてきたのだから、食事の時は残さずきれいに食べなきゃいけないのよ。って言われて育ってきたのよね。
だから、私は魚が上手に食べられるようになったんだけどさ。

げっ!!
私がそんな事を言った???
ほとんど記憶にない出来事でした。
私はきっと、苦し紛れに言った言葉だったのでしょうが、娘にとっては今でも息づいている記憶なのでしょう。
 確かに、食事は殺生です。肉も魚も野菜だって....。
肉も魚も生きている姿を想像したら喉を通らなくなります。
一匹の魚の目を見ると魚が食べれないという話をよく耳にします。
殺生だからこそ、料理を作る側は、食材を熟知し、料理の技術を磨かなければなりません。プロの料理は、尚更でしょうが、家庭料理だって一緒です。少なからず美味しく食べれるように工夫されているはずです。
こうして、作られる料理だからこそ、食べる側も最善の礼を重んじるべきでしょう。
昔から、食事の前には手を合わせる習慣があります。この時に感謝の気持ちを表現している事を思い出してください。

子供が幼い頃に苦し紛れに言った言葉もまんざら間違いではなかったようです。
 食事の前に手を合わせる事が単なる習慣にしてしまっていないでしょうか?
きちんと感謝して食事を口にしてみたら、又違う味わいを発見できるかもしれません。
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